旧・千葉気動車区跡
かつて房総地区は「気動車王国」と呼ばれた。全国で準幹線級路線の電化が進んだ昭和40年代になっても、比較的平坦線区が多いという理由からか、電化があと回しとなり気動車列車が走り回っていた。外房・内房線は「鉄道100年」の1972[昭和47]年に総武快速線・東京~津田沼間の開業と同時に全線電化されたが、北総地区(総武本線・佐倉以東、成田線・成田以東、鹿島線)の旅客列車が電車化されるのは更に先であった。
その気動車列車に使用された車両の基地が、稲毛~西千葉間、総武線と千葉大学敷地の間にあった。当時まだ稲毛駅付近は高架化されず線路は地平を走っていた。下り列車が稲毛駅を出ると、すぐに左手に専売公社のタバコ工場(その後2009年頃までJT関連会社の倉庫として使用される。2009.12現在、建物は存在しているが使用されていない模様。)が見え、引き込み線にはワム車が何両か停車していた。それを過ぎるとほどなく気動車区の検修庫が目に入る。その先は何両もの急行型・一般型の気動車たちが休む留置線が西千葉駅の直前まで続いていた。車内には千葉から先、各方面に向かう列車の発車時刻とホームを告げるアナウンスが流れてくる。
1975(昭和50)年3月のダイヤ改正を以て、房総地区の国鉄線で気動車列車が走るのは木原線(現・いすみ鉄道)と久留里線のみとなり、千葉気動車区は役割を終えて閉区された。その後跡地は整備されて西千葉公園となり、当時を偲ぶ記念のモニュメントだけがここに気動車区のあったことを物語っている。1983年当時の航空写真では更地となっていることや記念碑の碑文に「1986年 千葉市 建之」とあることから、閉区から10年程度経って公園化された物と思われる。
千葉気動車区跡記念碑(2009.12.27 撮影)
新港横戸町線跨道橋付近
気動車区跡地の北側(稲毛寄り)の谷地に都市計画道路 新港横戸町線が堀割で建設された。写真は跨道橋を南側から見たもの。画面右端に写っている白色の窓が小さい建物が旧専売公社工場跡で、JT系の飲料販売会社の物流拠点として使われていたとのこと。その後方に突き出して見える高層建物はJR稲毛駅近くのマンション。旧専売公社工場建物は解体され、建物南側の敷地は2023年現在、スポーツジムが建っている。
過去の航空写真から検証すると、転車台は線路東側の道路から新港横戸町線に降りて行くヘアピンカーブのあたりあったと思われる。
2009.12.27
公園として整備された気動車区跡
上述の通り、閉区後10年程度経って跡地は公園として整備された。公園の稲毛寄りにテニスコートがあり、トイレ、ベンチ、四阿と若干の児童用の遊具などが整備されている。
公園化されて20余年が経過し、樹木も成長して地域住民の憩いの場として活用されている。
2009.17.27
おおよその緯度経度情報:(35.630645,140.098238)
この記事は書きかけです。随時更新します。(2012.01.25)
撮影機材:SONY DSC-T700
リンク・千葉気動車区・同跡地の航空写真
- MKT617-C6-4 (1961)
- MKT704X-C14-8 (1970)
- CKT7413-C19-9 (1974)
- CKT832-C3-8 (1983)
※1974年の画像を高解像度表示すると転車台の存在も確認出来る。
※1983年公園整備前、更地となっているが一部レールの跡が見える。本線は複々線の高架に。
参考サイト
「きはゆに資料室」 http://kihayuni.jp/
懐かしい駅の風景~線路配線図とともに http://senrohaisenzu.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/1975-u-7e1f.html
航空写真をお探しの方へ (2023.12.22 記)
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